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Channel: 家族の最高の最期を迎えるために私ができる事
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緩和ケアとQOL

そもそもなぜ病気は治さなければいけないのでしょうか。 もちろん、放っておけば死に至るということもあるのですが、その一方で直接生死にかかわらない病気の不快な症状のみを抑える薬剤というのも広く利用されていることを考えると、ただ単に生死の問題だけで病気の治療を測ることはできません。 ここで登場してくるのがQOL(Quality Of Life)という概念です。 これは直訳すれば「生活の質」となるでしょう。...

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緩和ケアと自宅療養

もはや快癒の望みが薄く、寛解を目指して治療を施しても効果が期待できないという状況に至った末期ガン。 この場合の選択肢として存在感を増す「緩和ケア」には、無理な治療を諦めるがゆえのメリットが幾つかあります。 まず一つが、苦痛の緩和による高いQOLの維持です。 癌の種類にもよりますが、末期ガン、特に骨に転移を起こしたガンは非常に強い痛みを伴います。...

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晩年の介護

最期を迎えるその日まで、自分のことは自分でできて、元気に動いて働いて、眠るように息を引き取るというのは誰もが思う理想ですが、実際にはそううまく行く場合ばかりではありません。 晩年は何らかの病気にせよ、老衰にせよ、少なくない割合で日常生活に支障をきたしたり、寝たきりとなる人が多くなります。 こうした場合に考えなければいけないのが介護の問題です。...

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認知症の介護

家族の介護を考えるにあたって、現代において非常に重要なポジションを占めているのが「認知症」の問題です。 認知症は、脳や神経、精神的な原因が複合して起きる症状であり、病名通り認知機能の低下を引き起こします。 認知症にも様々な症状がありますが、より広い範囲をカバーする病名として認知症という呼び方が定着してきています。...

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認知症の介護 2

認知症は初期段階、「軽度認知症害」の段階であれば、介護というほどのものは必要なく、見守りやサポートで事が足ります。 しかし、更に進行して「第二期」にまで進むと、介護が必要になってきます。 アルツハイマー型認知症第二期を特徴づけるのは、空間見当識の消失、機能不全です。 わかりやすく言えば「自分がどこにいるのかわからない」ということから迷子、徘徊、多動ということが起きてきます。...

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亡くなられた後の話

ガンにせよ老衰にせよ、長かったにせよ短かったにせよ、病と戦ったにせよ元気だったにせよ、必ず人の一生には終わりが来ます。 大切な家族の死をゆっくりと悼みたいのが人情なのですが、現代社会の忙しさの中では、残念ながら先に諸手続きや葬儀を行う必要があります。...

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死の意識の始まり

人間にかぎらず、全ての存在に等しく訪れる「死」。 しかし、万物に訪れる死も、それをはっきりと認識し自覚しているのはおそらく人間だけだろうと言われています。 人間以外の動物も、すでに死んだ相手と生きている相手の区別は付きますが、自分自身がいずれ死ぬということを認識しているかどうかは微妙です。...

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介護は先手を打ちましょう

何人たりとも老いを避ける事はできません。 医療技術が今のように発達する前は、「老い」と言っても60~70歳程度の時期を意味し、また老いを意識してから死までの期間もそれほど長くはありませんでした。 しかし現在、医療技術の進歩とともに平均寿命は大きく伸び、老いを感じながらも生きる期間が大きく延長されました。 その結果大きな問題として直面するようになったのが「認知症」の問題です。...

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生前葬と遺書

人間は誰しもいつかは死ぬ以上、その時を快く迎えるための心構えや準備というものが重要です。 こうした心構えなどは、基本的に本人のものですが、そこで全て完結するものでもありません。 人は人とのつながりの中で生きている以上、死の準備にあたっては周りとの関係性というのも重要な要素になるのです。 周りへの影響と、自分自身の心構えという点で一つの儀式として面白いのが「生前葬」という儀式です。...

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死を逃れようとした権力者

人間、死ぬべき時にきちっと死ぬべきであり、それをヘタにあがいて引き延ばそうとすると、大概悲惨な結末が待っているものです。 実際、歴史を紐解けばそうした例はいくらでも挙げられます。 ここではその中でも、最も古い部類に入るだろう(神話は除きます)、秦の始皇帝の不老不死探索を紹介してみます。 そもそも秦の始皇帝とは紀元前246年に生まれた人で、周王朝が崩壊した後に訪れた戦国春秋時代を制した秦の君主でした。...

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古代日本の死生観

死んだらどうなるのか、死んだら何処へ行くのか。 この疑問は、おそらく人間がはっきりと死を意識した瞬間から、常に人類に存在していた疑問でしょう。 人間は疑問を疑問のままにしておくということができませんので、そこには様々な推測や考察からその時代時代、地域ごとに納得される物語が考えられました。...

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古代エジプトの死生観

「人は死んだらどうなるか」。 人間である以上この問から逃れることはできず、また人間である以上この疑問は全世界共通です。 しかし、それに対する応えは地域や文化ごとにいろいろな違いを見せており、それが各地の原始宗教を生み出して来ました。 この「死後どうなるか」について事細かに考察し、たくさんの資料をまとめたのが古代エジプトでした。...

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ネイティブアメリカンの死生観

どう生きるか、どう死ぬのか。 人生の最重要事である、この生死の問題を考える上でおおいに助けになるのが、「ネイティブアメリカンの死生観」です。 北米を中心に生活し、イギリスからの入植で追いやられていった彼らは、素朴な生活と裏腹に非常に高い精神文明を築いていたことで有名です。 その彼らの死生観を一言で表すなら「生も死も同じ」という感じになります。...

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インドの死生観

中国を経由し日本に伝わり、東アジアと東南アジアの文化に多大な影響を与えた「仏教」ですが、その淵源はインドにあります。 仏教の開祖である釈迦は、インド、性格にはネパールとの境に近い釈迦族の王子として生まれた後、出家、人生の道を求めて思索を続け、ついに悟った事を人々に説いて回り、今の仏教につながる流れを作りました。...

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ユダヤ教の死生観

ユダヤ教は世界中で生活をしているユダヤ人に信仰をされる宗教です。 ユダヤ教のもとになっている教典は「旧約聖書」であり、キリスト教と同じく唯一神によってこの世は作られたという概念を基本とした宗教体系となっています。 ですが、死生観においてはキリスト教とはかなり異なった認識をしているようです。...

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人が亡くなったあとの魂の行方

人は亡くなった後、生命のもととなっていた魂が抜けて別の場所へいくと考えられています。 人が亡くなったときに葬儀をするときにはこの魂を正しい場所に導くためです。 魂についての概念はその地域の風習や本人の信じる宗教によって少しずつ異なるのですが、基本的には人に看取られて亡くなった場合には魂はその肉体から抜けて、それぞれの神のもとへと旅立っていくこととなっています。...

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亡くなる前に起きる不思議

ちょっと不思議なお話ですが、人は亡くなる直前になぜか普段とは少し違った行動をとってしまうことがよくあるようです。 その時には「なんでそんなことをしたんだろう?」というような疑問を持ったりするものですが、その直後に亡くなったという知らせを聞くと、妙に納得をしてしまったりします。...

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